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猫になりたい ~乳がんになったので、日記に書く~

猫になりたい ~乳がんになったので、日記に書く~

2017年1月、検診・告知・病院選び

1月6日
年末からネットで検診のための病院探し。
地元には信頼できる乳腺外科がなく、車で1時間弱の某クリニックに電話してみる。
「しこりが見つかったので、検診を受けたいのですが」
個人病院だけど、ネットでは「神の手」との評判もある医師らしく、
すっごく待つかもと覚悟したけど、翌週に予約が取れた。
まずは調べてみないとね。


1月7日
三男、私立高校受験。


1月11日
検診予約の日。
17:00の予約で15分前に受付。
遅い時間のせいか、待合には2人ほど。
ほとんど待たずに名前を呼ばれた。
名医と評判のK医師。
いざ受診すると…ものすごーく素っ気ない対応をする人だった。
目も合わせない。
聞かれていないことを話そうとすると
「そんなこと聞いてないよ」
おおお?
古いタイプの職人気質?
とにかく身を任せて、超音波検査。
始めるなり、K医師が聞いてきた。
「がんのしこりがどんなものか知ってますかー?」
「? ああ、はい。母も乳がんだったので」
「ふーん。がんのしこりはね、ハッキリわかるからね」
何?私のはがんじゃないって言いたいの?
調べる前から何言ってんの?
ところが進めていくうちに、医師の様子が変わった。
「ん?ん?」
だから、しこりがあるって言ってるでしょ。
「これは…気になるね。細胞取って調べます」
で、針生検(穿刺吸引)というやつで細胞を採取。
普通の注射くらいの痛み。
1週間後の予約を取って、この日は終了。
ひとりで車を運転して、帰途につく。
多分、がん、だろうなぁ。
運転席から大きな満月が正面に見える。
なんだかいろいろと悔しくなって、涙が出た。
春に受験を控えた長男と三男に、どう伝えよう。
お父さんも動揺するだろうな。
とりあえず、結果を待つ。

翌日、2か月なかった生理がきた。
まだあがってなかったのね…。


1月14~15日
長男、センター試験受験。


1月18日
お父さんに同行してもらい、再度クリニックへ。
前回の細胞診の結果を聞く。
細胞診検査報告書というカラープリントを見ながら
「悪性ですね。浸潤性の乳管がん」
本人への告知を希望していたためか、サラッと言われた。
覚悟はしてたので、泣かない。
お父さんは…覚悟はしててもショックだったかな。
K医師、忙しいのか特に詳しい説明をするでもなく、
「明日、別の総合病院でMRI検査を受けてください」
マンモグラフィーを受け、次回の予約とMRIの説明をもらって終了。


1月19日
MRI受診。
クリニックからは離れた場所にある総合病院。
K医師はここで手術を担当しているらしい。
このままいけば、私もここで手術?
夕方に行ったせいか、暗い病院という印象。
MRI検査は、まるで拷問。
検査台にうつぶせになる。
胸の位置には穴があって、張りのない私の乳が垂れ下がる。
なんじゃこりゃ。
そして、ものすごい轟音。
耳栓をもらっていたけど、意味あるのか。
それでも、疲れていたのか時々ウトウト。
終わってから技師のお兄さんに「拷問ですね」と言ったら、
「そうですねぇ。でも慣れれば平気ですよ(笑)」
慣れたくはないな…大変なお仕事ですね。
画像を保存したCD-ROMを受け取り、帰宅。
お父さん、PCでファイルを開いちゃった。
…映ってるね、はっきり。
垂れた乳の形がなんだか可笑しい。


1月27日
画像のCD-ROMを持って、お父さんとクリニックへ。
これまた素っ気ない態度で一方的に説明するK医師。
「この大きさなら部分切除だね。2月9日、この日が空いてるから予約して」
!!!
おい、ちょっと待て。
こっちの都合とか意向とか、何も聞かんのかい!
この日まで、お父さんと二人、動揺しながらも一生懸命考え、
家族へどう伝えるか、どんな治療を受けるか、これからどう過ごしていくか、
悩んで、模索して、どんな気持ちで過ごしてきたのか。
この人には、そんなことまるで興味ないんだ。
これが名医、というやつか?プロフェッショナルか?
実はこの医師に対する不安から、セカンドオピニオンを受けようと考えていた。
だって、あまりにも説明が少ないし、目も合わせず話も聞いてくれない。
すでにある病院に予約もいれてある。
「あの…その前に、一度セカンドオピニオンを受けたいと思っているんですが」
思い切って切り出すと、一瞬の沈黙の後、
「あ、そう。ふーん。はい。わかりました。じゃ、紹介状ね」
それ以上の会話はさせてもらえず、診察を追い出されるように出た。
受付での対応も、冷たい感じ。
別にまだ病院を変えるとは言ってないんだけど。


1月28日
セカンドオピニオンを受けに某病院へ。
約1時間、じっくりと話を聞いてもらった。
ここで手術をするとすれば、3月下旬になるらしい。
お父さんは「がんが進行しちゃうよ(汗)」と心配するけど、
子どもたちの学校とか、受験とか、卒業式とか、入学式とか、
いろいろ考えても、丁度いいんじゃないかな。
この時点で、もう手術はこの病院にしようという気持ちは固まりつつあった。
手術の予約は、後日電話連絡でも良いと言われ、熟考することに。


1月29日
実家の母に初めて連絡。
かなり動揺していた。
母も乳がん全摘経験者だけど、膠原病患者のため抗がん剤治療はしてない。
思い込みの激しい人だから、勝手に何かしそうで怖い…。
ちゃんと私の話、理解したかな。


1月31日
実家からカニパック(キチンキトサン)がどっさり届く。
母もずっと飲んでるからと、高価なのに送ってくれた。
そこまでは良い。
夜、電話でお礼を言って、話をしているうちに、母のおとぼけ発言。
「それで、あんたはケイガンなの?タイガン?」
・・・それって、頸がん・体がん…?つまり…子宮がん?
「違うよ、私のは乳がん!」…ハッ!!!
乳がんのこと、まだ子どもたちにちゃんと話してないのに!
聞こえちゃったよね?
三男「えっ?お母さん、乳がんなの!?」
次男・長男「……?」
受験がひと通り終わるまでは、「がん」という言葉は出さないつもりだったのに。
しょうがないので、とりあえず電話を切ってから
「というわけで、お母さんは乳がんです」
「早く見つかったからそんなに大変じゃないよ。手術もするけど、大丈夫だから」
なんて大まかな説明だけど、子どもたちはホッとしていた。
年寄りと話すときは注意が必要。



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